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紙本著色良慶上人像

11 住み続けられるまちづくりを
ページID:0039131 更新日:2025年8月6日更新 印刷ページ表示

行橋市有形文化財

良慶上人像の写真

市指定有形文化財(絵画)
指定年月日:平成30年7月4日
所在地  :行橋市大字今井1802 浄喜寺


 縦127.8cm、横105.5cmの画面いっぱいに、浄喜寺第三世住職良慶(りょうけい)の姿を描いています。

 良慶は浄喜寺開山たる慶善(村上良成)の孫です。武勇にすぐれ、織田信長と石山本願寺との間で起きた石山合戦をはじめとする諸戦において、本願寺第十一世顕如とその子教如を助け、武功を賞されました。浄喜寺は東本願寺の直末寺として九州における浄土真宗展開の重要拠点となり、豊前国一帯に大きな影響を及ぼすことになりました。
 また良慶は慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの功績で豊前国に入国した大名、細川忠興の帰依を受け、忠興の居城移動に従って小倉(北九州市)や中津(大分県)、八代(熊本県)等に寺地を賜り、各所に寺を開いています。最晩年と考えられる寛永15年(1638)には、大坂の陣で焼亡した難宗寺(守口西御坊、大阪府)を再興しています。

 良慶は剃髪でなく(非僧)髷も結わない(非俗)「禿(とく)」という浄土真宗の髪型で、眼光鋭く、小山のような体で片膝を立てて坐し、色鮮やかな腰刀と大太刀も目を引きます。武勇にすぐれていたという像主の個性をよくあらわしています。一見、力強くおおらかな描き方のようですが、上瞼、鼻孔、口唇に濃墨を重ねて表情を引き締めています。体毛はそれぞれの質感を描き分け、刀装具の描写も細やかです。

 作者は不詳ながら、極めて高い技量を駆使して描かれ、本願寺教団の歴史において重要な役割を果たした良慶の風貌を今に伝える優れた絵画作品です。

良慶上人-部分

浄喜寺の文化財​

梵鐘 應永廿八年在銘(福岡県指定文化財)

絹本著色親鸞聖人像 附 裏書(行橋市指定文化財)

絹本著色親鸞聖人絵伝(行橋市指定文化財)