ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 分類でさがす > 観光・文化・スポーツ > 文化・スポーツ > 歴史 > ゆかし、ゆくはし。 ―行橋市の歴史と文化財― > 梵鐘 應永廿八年在銘(ぼんしょう おうえい28ねんざいめい)

本文

梵鐘 應永廿八年在銘(ぼんしょう おうえい28ねんざいめい)

11 住み続けられるまちづくりを
ページID:0002185 更新日:2022年8月12日更新 印刷ページ表示

福岡県指定有形文化財

梵鐘
県指定 有形文化財(工芸)
指定年月日:昭和41年10月1日
所在地:行橋市大字今井1840浄喜寺


 この梵鐘は現在、行橋市今井の浄喜寺にあります。今井の北西側はもとは海で、入り江のようになっていました。入り江を囲む今井、金屋、真菰、元永、沓尾、蓑島などの地域は中世、今井津(または今居津)と呼ばれ、港町として栄えました。
 梵鐘は総高161cm、口径89.4cmで、高さ39cmの竜頭は背中合わせの2匹の竜をかたどります。上段は乳(にゅう)と呼ばれる突起が計100個ならび、下段の袈裟襷(けさだすき)の交点にある撞座(つきざ)は蓮華の形です。駒の爪(最下部)はぐっと外に張り出します。
 梵鐘の中段、窓のような4つの枠の中には銘文が刻まれており、この鐘が作られた経緯がわかります。

 第1区には「彦山霊山寺 大講堂洪鐘一口(以下略)」とあります。実はこの鐘は英彦山(「英」の字がつくのは江戸時代から)内にあった寺、霊山寺に納めるために作られたものでした。第1区の後半から第2区までは寄進者たちの名が並び、第3区には、「天下泰平国土豊穣」といった大きなものから、「息災延命」と身近なものまで、現代にも通じる室町時代の人々の祈りが刻まれています。

梵鐘の銘

 右は、第4区の銘文の拓本です。この銘文によって、この鐘が鋳造された年が応永28年(1421年)であること、鋳造した鋳物師(いもじ)の棟梁が、今居(今井)に住む「左衛門尉 藤原 安氏」だったことがわかります。

 今井の鋳物師の作品は現物がなく記録だけが残っているものを合わせて鐘5点、鰐口(寺社で鳴らす楽器)2点の計7点が確認され、制作年は15世紀前半に集中しています。製品の分布は、東は現在の山口市、西は福津市に及びます。山口市は直線距離でも約65km離れており、今井鋳物師の製品の供給範囲の広さを示しています。

 行橋市大字元永の妙見宮(現在の大祖大神社)にも鐘が奉納されたと伝わりますが、幕末に小倉藩が大砲や砲弾を製造するために、溶かされてしまいました。幕末だけでなく、日中戦争および太平洋戦争の際にも全国で金属を集める名目で鐘も回収され、多くが消滅してしまいました。現在の山口市に奉納された鐘も行方不明です。

 浄喜寺の梵鐘も、奉納されたのは英彦山の霊山寺でしたが、明治時代の神仏分離の際に手放され、生まれ故郷の今井に帰ってきたと伝わります。平成3年には台風19号の強風で鐘楼が倒壊したこともありましたが、梵鐘は無事で、鐘楼も再建されました。人々の鐘を大切にする心と、幸運に恵まれて残った文化財です。