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末松謙澄 略年譜

4 質の高い教育をみんなに
ページID:0042536 更新日:2026年2月5日更新 印刷ページ表示

若いころの謙澄写真イギリス時代の謙澄写真法制局長官時代の謙澄写真謙澄・生子夫妻写真

 
年号 西暦 事項
安政2年 1855 8月20日 大庄屋 末松房澄、仲子の四男として豊前国京都郡前田村(現福岡県行橋市)に生まれる。
慶応元年 1865 8月 村上仏山の水哉園に入門。
明治4年 1871 上京し、大槻磐渓、近藤真琴等に学ぶ。
5年 1872 師表学校(東京師範学校)に入学(後に退学)。高橋是清と知りあい、謙澄は高橋から英語を学び、高橋に漢学を教える。
7年 1874 東京日日新聞に入社し、社長福地源一郎(桜痴)と出会う。
8年 1875 伊藤博文の知遇を得、12月 正院御用掛に任じられ官界に入る。
9年 1876 1月 特命全権弁理大臣 黒田清隆に随行し日朝修好条規締結のため朝鮮に赴く。
10年 1877 1月 太政官権少書記官、法制局専務。
6月 山県有朋の差配で、兼補陸軍省七等出仕、西南戦争の征討総督本営付となる。この際西郷隆盛への降伏勧告状を起草したといわれる。
11年 1878 2月 英国公使館付一等書記見習の肩書で、歴史編纂方法調査のため渡英。
14年 1881 10月 ケンブリッジ大学に入学。
15年 1882 英訳『源氏物語』を刊行。
17年 1884 5月 ケンブリッジ大学を卒業。
19年 1886 帰国。3月 文部省参事官となる。4月 内務省参事官に転任。
8月 演劇改良会を提唱し発足させる。
20年 1887 3月 内務省県治局長。4月 初めての天覧歌舞伎を演出。
21年 1888 6月 文学博士の学位を授けられる。
22年 1889 4月 伊藤博文の次女生子と結婚。
23年 1890 7月 第一回衆議院議員選挙に当選(福岡県第八区)。
25年 1892 2月 第二回衆議院議員選挙に再選。9月 第二次伊藤内閣の法制局長官に就任。
26年 1893 10月 内閣恩給局長を兼任。
27年 1894 3月 衆議院議員に三選。8月 朝鮮の視察に赴く(日清戦争中)。
28年 1895 2月 朝鮮政府への借款供与交渉のために渡朝。10月 男爵に叙爵される。
29年 1896 6月 貴族院議員となる。
30年 1897 1月 毛利家歴史編輯所総裁を委嘱される。
31年 1898 1月 第三次伊藤内閣の逓信大臣に就任。
33年 1900

9月 伊藤博文主導の立憲政友会結成に創立委員として加わる。
10月 第四次伊藤内閣の内務大臣に就任。

37年 1904 2月 日露戦争に際してヨーロッパに親日世論を形成するためにイギリスに向かう。
39年 1906 2月 帰国。3月 枢密顧問官となる。
40年 1907 4月 帝国学士院会員となる。9月 子爵に陞爵される。12月 宮内省御用掛ならびに韓国皇太子殿下御教養掛に任じられる。
大正7年 1918 4月 法学博士の学位を授けられる。
9年 1920 6月 『修訂 防長回天史』全編脱稿。10月5日 逝去。享年66。

『末松謙澄没後100年記念誌 語り継ぐ末松謙澄』より、一部改変