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絵馬「張良吹簫散楚兵」(ちょうりょう しょうをふいて その へいを さんず)

11 住み続けられるまちづくりを
ページID:0001347 更新日:2022年8月12日更新 印刷ページ表示

行橋市有形民俗文化財

張良吹簫散楚兵 絵馬

市指定 有形民俗文化財
指定年月日:平成21年12月1日
所 在 地:行橋市行事七丁目17番1号
正ノ宮 正八幡神社

豪商絵師、玉江蓬洲

 この絵馬は、正ノ宮 正八幡神社に奉納されていたものです。
 絵馬には画面いっぱいに男性の力強い立ち姿が描かれています。頭に冠を載せ鎧の上に服をまとう、中国の武官の姿(宋~明王朝頃)をしています。背には斜めに武器を背負っています。右手に持っているのは簫(しょう)という管楽器です。背景には金箔が貼られており、壮麗に仕上げてあります。

 絵馬の裏の書き込みから、在郷町行事の豪商・飴屋喜兵衛(玉江蓬洲)が奉納したものだとわかりました。願主である玉江蓬洲本人が描き、大橋の大工 新右衛門が製作して文化13年(1816年)に奉納されたことがわかります。
 絵馬は縦154cm、幅113cmで、額を含めると縦171cm、幅132cmになります。良質な木材が使われており、奉納者飴屋の財力を示します。

 玉江蓬洲は豪商飴屋の七代目当主として飴屋の全盛期を築いた人物ですが、一方で京都の絵師・村上東洲に学び、人物画や山水画を残しました。邸内に四階建ての「快哉楼」を建て、漢詩人・村上仏山や絵師・田能村竹田、歴史家・頼山陽らを迎え、交際しました。

関羽図
玉江 蓬「関羽図」

鍾馗
「鍾馗」

四面楚歌・吹簫散楚兵

 絵馬の題材は長らく、「三国志」に登場する武将・関羽と伝えられてきました。
しかし絵馬の裏側に「張良吹簫散楚兵」と記されていたため、「項羽と劉邦」の時代に漢の高祖劉邦を支えた軍師・張良(?~前189)を描いたものであることがわかりました。

「張良吹簫散楚兵」は、項羽と劉邦の戦いのクライマックスであり、「四面楚歌(しめんそか)」で有名な垓下の戦いの一場面です。
 江戸時代に読まれた『通俗漢楚軍談』という物語に、同名の章があります。それによれば、劉邦や張良率いる漢軍が項羽の楚軍を囲むなかで、楚軍は粘り強く戦っていました。そこで軍師・張良が一計を案じ、漢軍の兵たちに楚の国の歌を歌わせました。 これが「四面楚歌」です。
 同時に張良は近くの山に登り、楚の国に滞在していたときに習った簫を吹きました。

 長く離れていた故郷の楽器の調べと歌を聞いた楚軍の兵は、戦意を失って大半が逃亡してしまいました。その結果、項羽は討たれ、勝利した劉邦が中国を統一したのです。


 葛飾北斎なども同じ題材の張良(「張良吹簫図」)を描いていますが、蓬洲は「楽器を奏でる軍師」を、楽器を手にしているものの武将・関羽と見間違われるようなたくましい姿に描くという、個性的な表現をしています。歴史書は、張良の容姿を「婦人好女の如し」と伝えています。蓬洲は「関羽図」や「鍾馗」と同様、敵(災い)を追い払うような威風を、張良に求めたのかもしれません。

 正ノ宮にはほかにも、飴屋を願主とするものを含む多くの絵馬が奉納されていますが、この絵馬は制作年代、願主、描き手、大工、題材が明らかなため、特に資料的価値の高いものです。

弁慶と牛若
「牛若丸と弁慶図」

趙雲
「長坂坡 雲(趙雲)幼主を救う図」