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県指定史跡
指定名称「海軍築城航空基地稲童掩体」
指定年月日:令和5年3月28日
所在地 :行橋市大字稲童1095-17ほか
掩体(えんたい)とは、戦時中に敵の空襲から軍用飛行機を守る目的でつくられた格納庫です。
稲童地区は、旧海軍築城(ついき)航空基地の飛行場に隣接していたため、起伏のある地形を利用して多数の掩体や地下通信司令部壕などの軍事施設が建設されました。
築城基地は昭和14(1939)年12月から建設を開始し、昭和18(1943)年4月に完成しました。戦況の悪化から本土が空襲されるおそれが生じたため、翌年8月頃から掩体の建設が始まりました。
建設された掩体には大型のものと小型のもの、また屋根がある有蓋掩体と、屋根がない無蓋掩体に分けられます。屋根がない無蓋掩体は、コ字形の土手で飛行機を囲みます。上からの直撃弾から軍用機を守ることはできませんが、横からの爆風や破片を防ぐことができ、有蓋掩体より簡単に建設できます。
稲童地区には大型・小型、有蓋・無蓋合わせて約30基の掩体が築かれたと伝わりますが、終戦後数十年のうちに周辺の開発が進み、消滅していきました。郷土に残る貴重な戦争遺跡を保存するために、もっとも残りの良い大型有蓋掩体を稲童1号掩体壕と名づけ(1号は便宜上の番号で、戦時中に軍がどのように呼んでいたかは不明です)、平成14年12月2日に行橋市の史跡に指定されました。
そして令和5年3月28日、福岡県内の戦争遺跡のなかでも建造当初の姿をよく残す貴重な資料であることから、「海軍築城航空基地稲童掩体」の名称で福岡県の史跡に指定されました。
今回県の史跡に指定された掩体は、鉄筋コンクリート造の有蓋掩体で、入口は幅26.8m・高さ5.5m、奥行きは23.5mと大型です。大型の掩体は陸上爆撃機「銀河」、「一式陸上攻撃機」などの中型軍用機を格納するために建設されました。
掩体の屋根の上には土を盛り、草木を植えるなどして自然の小山のようにカムフラージュしていたようですが、掩体壕と滑走路との間には幅40mの誘導路が設けられたため、稲童地区は激しい空襲の目標となってしまいました。
築城基地周辺への空襲は昭和20年(1945年)3月に始まりました。終戦までに稲童地区で数十名の死傷者を出し、多数の軍の施設や民家が焼失しました。
現在も、1号掩体の壁面や、稲童地区の安浦神社の鳥居や灯篭、周辺の民家のレンガ塀などに機銃掃射の弾痕が残っています。
稲童掩体は史跡公園として整備しています。
公園には、終戦まで仲津小学校にあった奉安殿と、稲童地区の空襲の際に銃撃を受けたレンガ塀を移設保存しています。