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今井祇園行事

11 住み続けられるまちづくりを
ページID:0027697 更新日:2024年2月28日更新 印刷ページ表示

福岡県無形民俗文化財

今井祇園 曳山

県指定無形民俗文化財
指定年月日:昭和35年1月12日/昭和51年4月24日
所在地:行橋市大字今井・大字元永

 

記録映像(一般財団法人地域創造)
一般財団法人地域創造
<外部リンク>

 

 今井祇園行事は、今井津須佐神社(行橋市元永)を中心に7月中旬から8月初旬にかけて行われる夏祭りです。鎌倉時代の1254(建長六)年、疫病が流行した際に、地頭らが京都の祇園社(現・八坂神社)の分霊を迎え祀ったところ、霊験あらたかだったため、翌年から祇園祭を奉納するようになったと伝わります。

 主な行事は連歌と山車、納幣です。

連歌(れんが)

 連歌は、複数人が集い、かわるがわる五七五の長句とそれに対応する七七の短句、さらにその短句に対応する長句、というように詠み継ぐ詩歌です。室町時代から戦国時代にかけて、天皇・貴族から武士・庶民にいたるまで幅広く非常に流行し、神仏に奉納するために行われることもありました。明智光秀が本能寺の変の前に興行したことでも知られています。しかし江戸時代に入ると連歌は衰退し、代わって俳諧(俳句)が流行していきます。

 今井祇園行事では、室町時代の1530(享禄三)年以来、約500年にわたって毎年連歌が奉納されてきました。室町時代以来の伝統を守り続けているのは、国内で今井祇園行事だけです。

連歌

山車(やま)

 今井祇園行事では、かつては今井西町、今井東町、今井中洲町、金屋村から4基の曳山(車輪があり綱でひく山)、元永村、真菰村から2基の舁山(かつぐ山)の計6基が巡行していたと伝えられています。現在も巡行しているのは今井西町の曳山です。

 今井西町の山車の形態は、京都の祇園祭の系譜をひいていますが、屋根に向拝が設けられたり、屋根を貫く柱(真木)が2本になったりと、独自の変化も見られます。格子屋根を突き抜けて直立する2本の柱が高さ約15mにおよび、豊前地方最大級の大きさです。車輪は直径1m50cm、厚さ50cmのクスノキ製で、普段は祓川の川底に埋めて保管してあります。
 昼には幟山(のぼりやま)、夜には提灯山の2つの姿を見せます。提灯山は少数の大型の提灯をさげるもので、古式をとどめていると考えられています。

 一般の参拝者が飛び入りで句を詠むことができる「車上連歌」の舞台にもなります。日没後に行われる車上連歌は、匿名性が高く不特定多数が参加する「笠着連歌」の姿を今に伝える貴重な行事です。

納幣

 大幣と花傘の芯花を須佐神社に奉納します。本来は神童「八ツ撥(やつばち)」とともに行列を組んで奉納されるものですが、八ツ撥は近年休止されています。