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指定年月日:平成29年10月13日
所在地:行橋市南泉一丁目142-3 外
福原長者原官衙遺跡は、東九州自動車道の建設にともなう発掘調査によって発見された遺跡です。官衙は役所という意味で、福原長者原は遺跡が見つかった土地の旧地名です。
発掘調査では、敷地を方形に囲む2時期の大溝と、その内側に整然と並ぶ多数の柱穴などが確認されました。柱穴は大規模な建物や回廊(区画の周囲をめぐる屋根付きの廊下)、門などの遺構と考えられます。また出土品としては、器や硯、鉄製品、瓦などがありました。これらの遺構や出土品などの特徴から、7世紀末頃から8世紀前半にかけての役所の遺跡であることがわかりました。
福原長者原官衙遺跡の回廊と南門跡
(2012年6月10日現地説明会の様子)
この遺跡で発見された役所は、時代や建物の配置から、国府政庁(現在の県くらいの範囲である「国」を治める役所)または郡衙(ぐんが:国をいくつか分割した「郡」を治める役所)であると考えられます。国府であれば豊前国府、郡衙であれば仲津郡衙にあたります。
敷地の広さや門の構造から、国府政庁説が有力なようです。
豊前国府跡は、すでにみやこ町の国作地区にあったことがわかっています(福岡県指定史跡)。行橋市の福原長者原官衙遺跡は、みやこ町で見つかった国府跡より少し時代が古いので、当初、行橋市の福原長者原に設置された国府が、みやこ町の国作地区に移転したのではないかと考えられます。
ただし、この敷地の広さは九州地方を統括した役所である大宰府政庁跡に迫る規模であり、当時の皇居である藤原宮と共通する設計もみられることから、国以上の広域を統括する役割を持っていた可能性も提示されています。
役所の範囲
発掘調査報告書<外部リンク>
保存活用計画<外部リンク>
※遺跡の一部を史跡広場として整備しています。