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市指定史跡
指定年月日:昭和56年2月2日
所在地:行橋市大字長木字宮のエン
市内西部、観音山(標高232m)から東に伸びた長木地区の丘陵の上に、日本神話に現れる八柱の雷神を祀った八雷神社が鎮座しています。社殿の後ろの高まりが八雷古墳で、社殿に向かって右側が後円部、左側が前方部です。
墳丘は市内の古墳で最大の長さ74mで、周囲には濠と周堤がめぐり、周堤まで含めると全長は100mに及びます。前方部が極端な裾広がりで、幅76mと長さよりも幅が広い独特な形をしています。この古墳の形は、清寧天皇の陵墓と伝わる白髪山古墳(大阪府羽曳野市)を3分の2に縮小した設計だと考えらます。八雷古墳に葬られた人物が、ヤマト政権と強いつながりを持っていたことがうかがえます。
八雷古墳は発掘調査を行っていませんが、神社建設時の出土や表面採集で埴輪が破片も含め十数点が見つかり、その特徴や墳丘の形から、この古墳は6世紀前半に築造されたと推測されています。
これは、八雷古墳から出土した埴輪です。
何をかたどった埴輪でしょうか?
この埴輪は行橋市歴史資料館で常設展示しています。
(特別展開催中など、展示していないこともあります)