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行橋市の古墳

ページID:0013804 更新日:2023年1月29日更新 印刷ページ表示

今からおよそ1,700年前から1,300年前を古墳時代とよんでいます。有力者のお墓として、小山のような古墳がたくさん作られた時代です。上から見た形が鍵穴のような前方後円墳が有名ですが、ほとんどはまるい円墳です。

行橋市や隣の苅田町、みやこ町は、古墳がとても多い地域です。このページでは、行橋市にある代表的な古墳をご説明します。

稲童古墳群

いくつかの古墳が近いところに作られたものを、古墳群と呼びます。
「いなどう こふんぐん」は、稲童地区の海岸にそって、約1kmの範囲に30基ほどの古墳が作られました。

一部の円墳が発掘調査されて、よろいかぶとや刀、馬具(馬に乗るときに馬につける道具)、アクセサリー、斧など、たくさんの副葬品(なくなった人といっしょにお墓におさめたもの)がみつかりました。金色のかざりがついた豪華なかぶともみつかっています。

古墳群の中でもっとも大きい石並古墳は、上から見るとホタテ貝の貝殻のような形をした前方後円墳です。

石並古墳の画像◆石並古墳◆

稲童古墳群の甲冑の画像​​◆稲童古墳群の甲冑◆

ビワノクマ古墳

延永地区の丘のうえに約1,600年前に作られた、長さ約50mの前方後円墳です。丘の頂上のあたりが後円部(鍵穴形のまるい部分)で、小さい穴が開いていて石室の中を見ることができます。発掘調査で、亡くなった人にそなえられた鏡や勾玉、刀やよろいがみつかりました。

古墳時代には延永小学校のあたりまで海が広がっていて、ビワノクマ古墳に近い延永ヤヨミ園遺跡からは港の跡もみつかっています。ビワノクマ古墳は、行きかう船からよく見えるような場所に作られた古墳だと考えられます。

ビワノクマ古墳の画像◆ビワノクマ古墳の石室◆

隼人塚古墳

「はやとづか こふん」は、高瀬地区に1,400年前頃につくられた長さ約40mの前方後円墳です。横から出入りできるタイプの石室(横穴式石室)があり、一番奥の部屋(玄室、げんしつ)は天井の高さが3.6mもあります。発掘調査で刀や矢じり、馬具、アクセサリー、斧、須恵器(、古墳時代の灰色のやきもの)などがみつかりました。

八雷古墳

「はちらい こふん」は、長木地区の八雷神社の裏手にある古墳で、約1,500年前につくられた前方後円墳です。長さは74mですが、ほかの前方後円墳とくらべて前方部(上からみて三角形の部分)の幅がとても広く、76mもあります。また古墳を囲むように幅広い溝と土手があったことがわかっています。これは昔の天皇のお墓といわれる大阪府の白髪山古墳と同じデザインなので、八雷古墳は天皇と関係が強い人のお墓だったと考えられています。発掘調査はおこなわれていませんが、人の形の埴輪がみつかっています。胴体部分に格子模様の線がひかれていて、よろいを着ているか、盾を持っている姿だと考えられています。

八雷古墳出土埴輪の画像◆八雷古墳から出土した埴輪◆