ビワノクマ古墳

2016年2月19日

行橋市内の指定文化財一覧

ビワノクマ古墳を上空から見る

県指定史跡                                          

指定年月日:昭和30年9月6日                 

所   在   地 :行橋市大字延永字ビワノクマ


 長峡川と小波瀬川に挟まれた標高約25mの丘陵の頂上に築かれた、古墳時代前期の前方後円墳です。 墳丘の長さは約50mです。
 昭和30年(1955)、墓地の造成中に石室が発見されたため、九州大学の鏡山猛助教授の指揮で発掘調査が行われました。 内部の埋葬施設は長さ3.9m、幅1.3m、天井までの高さ1.7mの竪穴式石室です。
 その後長い間、直径25mの円墳とみなされて来ましたが、平成21年から23年にかけて実施した測量調査と発掘調査によって、前方後円墳であったことが明らかになりました。
 この古墳の盛り土の下にも墓が複数あり、古墳が造られる以前からこの丘が墓地として使われていたことがわかりました。 また、この丘の西側斜面には、古墳時代後期の横穴墓(崖面を掘り込んで作った墓)もありました。

石室の内部石室の内部

 

 石室内には銅鏡、硬玉の勾玉やガラスの小玉といったアクセサリー、刀と短剣、鉄の鏃(やじり)と布製の矢筒、小札革綴甲(こざねかわとじよろい)など、豊富な副葬品が納められていました。 調査で出土した遺物は九州大学が所蔵しています。

国内に2例しかないよろい 

甲冑類小札

出土した小札の一部

 

 「小札革綴甲」とは、小札(小さな鉄板)を革紐で綴じ合わせて作った甲です。 小札革綴甲は全国でもここと奈良県の別所城山第2号墳出土品の2例しか確認されていない、とても珍しいものです。 朝鮮半島や中国といった大陸文化の影響と考えられ、ビワノクマ古墳の被葬者が、ヤマト政権のあった近畿地方と並んで他地域に先がけて先進的な文化を取り入れることのできる人物だったことがうかがえます。

古代の港町を見下ろす古墳

 古墳時代、行橋市の中心部は海が入り込み、湾のようになっていました。 ビワノクマ古墳は海岸のそばにそびえる丘の頂上に築かれ、遠くからも見えたことでしょう。

古墳時代の行橋

 また、古墳のある丘の麓に広がる弥生時代末期から古代にかけての遺跡・延永ヤヨミ園遺跡では、船の一部や西日本各地の特徴を持った土器、役所のような建物が確認されるなど、地域の交通拠点となる港町であったと考えられています。
 特に注目されるのは、ビワノクマ古墳と同じ頃に造られたとみられる「導水施設」です。 これは近畿地方を中心に分布する、水に関わる祭祀を行う施設だと考えられています。 九州では初めて発見されました。

 小札革綴甲と導水施設は、近畿地方の文化が瀬戸内海を通じて九州に上陸する地点である、この地域の文化的特質を象徴しています。
 延永ヤヨミ園遺跡を見下ろすビワノクマ古墳に葬られた人物は、港を管轄し、近畿地方の文化を率先して取り入れる人物だったのかもしれません。

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地図

ビワノクマ古墳

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