[史跡]守田蓑洲旧居(もりたさしゅう きゅうきょ)

2021年8月6日

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守田蓑洲旧居 外観

市指定史跡

指定年月日:平成20年8月1日

所  在  地  :行橋市大字沓尾181番


守田蓑洲旧居について

 守田蓑洲旧居は今から150年ほど前、江戸時代末期に守田家第27代当主 守田 蓑洲 によって建てられたと伝わる建物で、「蓑洲亭」と呼ばれていました。 守田家は庄屋や大庄屋を務めた在地の有力者で、守田蓑洲旧居も藩の要人らを応接する大庄屋の職務をよく表す、接客を重視した造りの貴重な建築です。
 玄関の天井は竹製の大和天井(すのこ天井)、土間の頭上の梁は太い木材がむき出しのまま組まれ、重厚な歴史を感じさせます。
 室内は3分割された広間と奥座敷・次座敷・中の間・納戸からなります。屋敷北側の海沿いの通りに面して東西2つの門が設けられ、来客用の東の門は冠木門という形式で、明治4年に豊津藩(小倉藩の後身)が英語教師としてオランダ人のファン=カステールを招いた際に休憩のため迎え入れた門であるため、「オランダ門」と呼ばれました。 この門から入った庭に面して次座敷と中の間があり、その奥に床の間や棚が設けられた格式高い奥座敷があります。奥座敷からは沓尾山(兵庫山)を借景とし、自然石を組んだ池泉庭園を眺めることができます。

 

守田家について

 守田家は周防国(山口県東部)を拠点とした守護大名・大内氏の一族で、戦国時代には豊前国守護代・杉氏の下で松山城(苅田町)を拠点としていましたが、戦乱の中で帰農しました。 江戸時代初期には隣国筑前国の黒田家を出奔した後藤又兵衛の潜伏に協力し、出立する際に贈られた槍が伝わっています(行橋市教育委員会所蔵)。 また娘を預かり、妻としました(夫妻の墓が香円寺に残ります)。
 大名細川忠興(三斎)の命で沓尾を開拓し、その後も代々、在地の有力者として、庄屋や大庄屋を務めました。

 

守田蓑洲について

 幕末の守田家第27代当主が蓑洲(1824~1910)です。 漢学者 村上仏山の私塾、水哉園に学び、初代塾頭を務めました。
 小倉藩の村役人に就任すると、守田蓑洲旧居の正面に広がる広大な文久新地の干拓事業に参加し、慶応2年(1866年)に長州藩軍が小倉藩領に攻め込んだ小倉戦争(第二次長州征討の小倉口の戦い)にも従軍しました。 その年に大庄屋に就任し、明治時代にも福岡県議会議員となるなど地域の発展に尽くし、教育にも私財を投じました。 古稀の祝いとして贈られた「古稀寿賀帖」には、伊藤博文をはじめとする政治家や芸術家など、そうそうたる顔ぶれによる書画が収められています。


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