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馬ヶ岳城跡


 京都平野(みやこへいや)を眼下に一望する豊前の要衝、馬ヶ岳(うまがたけ)に城が築かれたのは、一説に天慶5(942)年ともいわれるが史料に乏しくはっきりしていない。本格的な城の構えができたのは、おそらくもう少し時代が下がってからのことであろう。
 城の遺構は東西二つの峰を中心に郭が形成され、この西側の峰の平坦地が最も広く本丸跡と考えられる。また東側の峰から北に下る尾根には約500mにわたる土塁も確認された。
 江戸時代に著された軍記物語などには、14世紀半ばから15世紀前半にかけて義基、義氏、義高の新田氏三代が在城したことが記されている。
 南北朝から室町時代を経て豊臣秀吉による九州平定までの動乱の時代、豊前地域をめぐって少弐氏、大友氏、大内氏、毛利氏などの群雄が覇を競った。この時代に馬ヶ岳城は香春岳城、苅田町の松山城、添田町の岩石城などとともに戦略上の重要拠点として攻防の舞台となった。
 天正14(1586)年、豊臣秀吉が島津氏征討を決めると、馬ヶ岳城主長野三郎左衛門は秀吉方に降(くだ)った。翌、天正15(1587)年、遠征軍を率いて自ら九州に上陸した秀吉は小倉城を経て、この城に逗留(とうりゅう)している。
 九州平定後、馬ヶ岳城は豊前六郡を与えられた黒田孝高(官兵衛、如水)が、拠点を中津に移すまでの居城であった。
 慶長5(1600)年、黒田氏は筑前に移り、豊前は細川忠興の所領となった。このころ馬ヶ岳も役割を終え長い歴史を閉じた。





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